今まで、打ち合わせとかブレストでどうにも違和感があると思っていたことがあったので考えてみた。
最近、アイデア出しとかでも新鮮味がないものしか出てこない場合が多い。なんでかいろいろ考えてみると、どうやら考えるということをしていないように思う。具体的には、他社の2・3番煎じなアイデアを名前だけ変えて提示し、採用する側も他社がやってるんだからという程度の理由で受け入れる。自分の考えとか創造が一切ない。これはたぶん、考えることと調べることが同義に思われているのではないかと思う。この手の人は「良く調べたな」と感心するくらいに詳細まで調べはするのだが、だからどうしたら良いと思うか…という点が非常に弱い。前例がないと答えられない。オレが言うのもおこがましいことだが客観的に観察すると比較的に高学歴な人にこういう傾向が多いように見受ける。
前人が作った学歴スキームの頂点を極めるということは、やはり創造性を棄てて前人にコース設定されたレールをひたすら進むことではないか。それに慣れてしまっており、そこに自己の意思をはさむことをしなかったせいではないか。最近は検索エンジンの進歩もそれを助長することになってしまっているだろう。簡単に自分が知らなかったことを調べることができ、そのインプットは自分にとってepochであればアイデアと勘違いしてとらえてしまってないか。
踏み込んだことを言えば、日本は教育課程から間違っているのかもしれない。教育の目指すところは、受験教育でもゆとり教育でもなく、考えることに楽しさを見出すようなカリキュラムが導入されるべきなのかも。
これからのコンテンツ業界が大変心配だ。このままでは日本発信のコンテンツは軒並み2番3番煎じのものしか出てこなくなるのではないか。ゲームにおいてはドラクエやFFのような続編タイトルしかヒットがなくなってきているのがそれを象徴してなければ良いが。
May 27[Sun] 2007: 調べることと考えることの違い
Category: 思想・妄想・空想
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