May 20[Sun] 2007: 片腕だけでン百万円!?高級品って、、、

なんと東京には時計好きが多いことか。同郷同級生♀の腕に、?百万円分。南米のとある国だったらこの華奢な腕ごと切取られるかもしれない。

それにしても高級と呼ばれる良い時計をつけてる人って多い。昔は時計好きではなかった人も最近はこぞって高級時計をつけている気がする。♂の場合、身に着けるものが♀と比較して少ないので時計が自己主張できる唯一の持ち物となるからだろうか。アクセサリーという意味もあるだろう。そこそこの歳になり、そこそこ金回りが良くなると自己主張したくなるのか。

オレの場合は歴史のある職人手作りの精密な機械が身に付けられることがうれしくて使っている。大量生産製品でないものが少なくなった今の世の中でぬくもりというか人間味が感じられるから。が、Optionとしてそういったアクセサリー効果があることも否めない。合コンのときにも♀から指摘されるし、優位に働くことが多い。これはうれしい付帯効果ではある。

基本的にオレは持ち物にはこだわる。カバンも靴も服や小物も全部気に入ったものや気に入ったブランドを探して使っている。他人から見てセンスがあるかどうかとか、気付かれる気付かれないは関係ない。自分が気に入るということが重要で、見栄でも言い訳でもなく、心を豊かに保つ癒し効果があると思う。気に入ったものは必然的に大事に使うし飽きもこない。結果として長く使うことになり、気分も豊かになるし間違いなくお得だと感じる。しかし高級と呼ばれるにはそれなりの効果や人の手間、歴史ウンチクがあるというのが理解できない人には理解できないみたいだ。

中には、お金が無い訳ではないのに単純な製法で作られる二番三番煎じのような製品を選び、それだけではなく、高級と呼ばれるモノを固定的な観点だけで馬鹿にする人もいる。モノをただ使うだけという位置づけに見てしまうとそういう見方もあるのかもしれない。細かな気遣いがデザインや素材に活かされてなくても道具としての効果は得られることが多いだろう。また限られた収入のなかで全部を高級なモノで固めることも経済的に難しくもある。でも歴史や手間、心遣いなど人間的付加価値が精神に与えるプラス効果が個人的には大きいと感じる。買える買えないは別にして、良いモノに対する理解はその人の心の豊かさと比例すると思う。全部とは言わなくても、いくつかでもオーラを持ったモノを使用すると自分の能力を多少なりとも上げるサポートをしてくれているようでれしいし何より身に着けることが楽しい。

人それぞれお金をかけたいモノも方向も違うのはわかる。でも固定観念や値段だけで高級と呼ばれるモノを批判するのは、心が貧しすぎる。オレはできるだけいろんな見方でモノを見るように心がけよう。

Category: 物欲を満たそう

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